2013年10月01日

高層建築史2 日本の高層ビルディング

日本での近代ビルディングとしての高層建築は、1888年(明治21年)に大阪市浪速区の遊園地に建てられた高さ31mの眺望閣が最初と言われています。
翌1889年(明治22年)に同じ大阪市北区に建てられた高さ39mの凌雲閣が続きました。「キタの九階、ミナミの五階」と呼ばれていたそうです。
そして1890年(明治23年)10月29日に建てられたのが東京市浅草の凌雲閣(建物の高さ52m、基礎部分を含めると66m、通称「浅草十二階」)でした。明治大正期の西洋式高層ビルの代表といえる建物で、当時一部のオフィスビル以外は、3階以上の建物が殆ど無かった時代。12階建ての凌雲閣からの眺望は関東北部の山並みまで見通せたといいます。10階まではレンガ造り、その上に乗っかるように木造2階の構造物がありました。内部にはエレベーターも備えていました。

大正期に入ると、オフィスビルや、スラム対策の集合住宅用にコンクリートビルが増え始めます。また、長崎県の軍艦島のように、必要性から、比較的大型の建築物が早くから作られたところもありました。
しかし、関東大震災で浅草凌雲閣が8階付近から崩壊。大勢の犠牲者を出します。他にも多数のビルが崩落しました。外見はコンクリートビルでも、内部は木造部分が大半というようなものは、焼失したものもあります。地震に弱いというイメージが形作られていきます。これより前の1920年(大正9年)9月30日、イギリスに倣って市街地建築物法施行令が公布。建築物の高さは百尺規制(約30.3m・約9階程度、その後改正されて31m)が設けられますが、震災の影響もあって、昭和に入り近代ビルが増える中でも、高さは百尺程度に抑えられていました。国会議事堂(高さ65.45m、1936年11月7日竣工)のほか、屋根・塔屋部分など一部が百尺を超えるビルは複数存在しますが、建物そのものの高さは規制内にほぼ収まっていました。
戦後、建築基準法が公布(1950年(昭和25年)11月23日)されますが、百尺規制は残ります。一方で戦災復興の中、丸の内の第一鉄鋼ビルディング(1949年竣工・すでに解体)、大阪第一生命ビル(1953年)、東急会館(1954年に玉電ビルを増築、現渋谷東急百貨店東横店西館)など、規制ラインから、徐々に超えていく大型ビルの建設が進みます。建築家の間でもアメリカのような高層ビルの計画が立てられるようになりました。
需要と技術の向上、違法建築の危険性、オリンピックの開催決定などから、1962年7月16日、建築基準法の「百尺規制」が廃止され、高層ビルの建設が可能になります。

そして東京オリンピックのホテル需要のため、大谷重工の大谷米太郎に依頼して建設されたのが、ホテルニューオータニ ザ・メイン(1964年8月31日竣工)。この建物は百尺規制廃止後の初の高層ビルで、高さ72m、17階建て、国会議事堂を抜いて日本一の高さになりました。耐震化柔構造と工期短縮のため、壁を工場で作ってはめ込む、取り外し可能なカーテンウォールとし、一体化したユニットバスなどを導入したのもこのホテルが最初でした。続いて、横浜市戸塚区に五重塔のようなデザインのホテルエンパイア(現横浜薬科大学図書館、高さ68m、1965年3月28日)がオープンします。
1968年4月12日、日本で最初の超高層ビルが誕生します。それが霞が関ビルディング(高さ147m、36階建て)。日本初の摩天楼であり(※1)、大きさも桁違いだったため、長いこと、容積の大きさを表す単位として「霞が関ビル○杯分」という表現が使われました。
1960年代には他に神戸商工貿易センタービル(26階、107m、1969年11月)が建設されています。

日本一では、東京浜松町の世界貿易センタービル(40階、152m、1970年3月※2)、次に新宿新都心の超高層ビル群の先駆けとなった京王プラザホテル(47階、169m、1971年6月)、そして200m超ビルディングの一番手、新宿住友ビルディング(住友三角ビル。西新宿、52階、210.3m、1974年3月)が完成します。さらに黒い異色の新宿三井ビル(西新宿、55階、225m、1974年9月)、スガモプリズンの跡地に作られ60階という階数も話題になったサンシャイン60(池袋、60階、240m、1978年4月6日開業)と続きます。しばらくこのサンシャイン60が不動の地位にあり、超高層ビルの建築数もわずかずつで、デザインもモダニズムの箱型がほとんどでしたが、バブル全盛期の1990年12月、丹下健三デザインの独特の幾何学外観を持つ東京都庁第一庁舎が完成(西新宿、48階、243.4m)、ついで横浜ランドマークタワー(横浜市西区、70階、296m、1993年7月16日)も完成しました。ランドマークタワーは風対策などで四方の柱構造と三段に裾が広がった独特の外観をしています。

バブル期以降、再開発計画や、規制緩和なども相まって、超高層ビルの建築は加速します。オフィスだけでなく、超高層マンションも急増し、地方都市での建設も相次ぎました。しかし日本は、地震に加え、超高層ビルの難敵である風の問題、そして航空法による高さ規制が大きく響き、世界で超高層ビルラッシュになっても、ランドマークタワーを超えるものは作られませんでした。
そして2013年現在、航空法の規制緩和に伴い、大阪市阿倍野区の近鉄阿倍野橋駅上に完成した、あべのハルカスが日本一の超高層ビル(60階、300m)となっています。

超高層ビルではないですが、高さ634mの東京スカイツリーが出来たように、また、日本のゼネコンやディベロッパーは、海外でペトロナスツインタワーや、台北101、上海環球金融中心などの超高層ビル建設に関わっており、需要や様々な規制をクリアすれば、今後、今より高い超高層ビルは国内でも作られるでしょう。

歴史上の高層建築物、および、電波塔・通信塔については別の項で取り上げる予定です。

※1:これより前の1966年に、1918年完成で皇居前にある東京海上ビルの解体に伴う再開発計画に、建築家の前川國男らから、高さ127.768m、30階建ての超高層ビル計画が出されたが東京都から却下され、皇居を見下ろす、美観が悪くなる、といった理由も含めた大論争となった。結局、不服申立てによる再審査で時間を取ってしまい、さらに99m、25階建てに変更になったため、霞が関ビルに一番手の座を奪われた。
※2:世界貿易センタービルは周辺も含めて解体され、2024年までに超高層ビル3棟、高層ビル1棟、モノレール駅1棟が新たに建設される予定。なお、2013年時点での日本での100m以上の高層ビルの解体は、2007年のソフィテル東京(112m)、2013年7月の赤坂プリンスホテル(138.9m、1983年3月7日開業)の2例。だるま落としのように途中階を1フロアずつ解体して全体を低くしていく工法をとる。

☆この内容は総合年表HP(http://www.sogonenpyo.jpn.org/)に追加されます。
posted by あお at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 高層建築史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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