2011年10月18日

10月18日の出来事

10月18日の出来事をいくつか抜粋して紹介します。

1561年
第四次川中島の戦い(永禄4年9月10日)
甲斐の武田晴信(信玄)と越後の上杉景虎(政虎・謙信)が度々衝突した川中島の戦い。もともとは、信濃に進出した武田信玄に対し、信濃の国人領主らが抵抗していましたが、最も強力な勢力だった村上義清が衰退するにおよび、北信濃の領主らは上杉景虎に援助を求めました。上杉景虎は縁戚の高梨政頼を支援する目的もあり、信濃への進出を決めます。彼は朝廷にも働きかけて大義を得ていました。両者が衝突したのは、千曲川と犀川の流域。善光寺平の付近でした。両者の戦いは基本的に長期対陣するか小競り合いでした。特に本拠地からの距離があり敵対勢力に近い武田側が戦闘を避ける傾向にありました。しかし、ついに永禄4年、両軍は川中島で激突します。上杉側は妻女山に進出。それを受けて、武田側は茶臼山に出兵したあと、海津城に入城しました。武田側は山本勘助の策で、高坂昌信の別働隊を妻女山の背後から襲わせ、驚いて降りてきた上杉軍を迎撃するキツツキ戦法を取ります。しかし上杉側は察知していました。密かに山をおり、いわゆる「鞭声粛々夜河を渡る」で密かに武田本隊の前面に展開しました。夜が明けて事態を察知した武田軍ですが、上杉側は次々と部隊を突入させる「車懸りの陣」で攻勢。武田軍は必死に防戦するも、信玄の弟武田信繁、山本勘助、諸角虎定らが討ち死にする大敗を喫します。このとき、信玄・謙信が刀を交えた、という伝説が生まれました(真偽は不明)。しかし武田軍は別働隊がまるごと残っていました。妻女山が無人と気づいた高坂昌信らは急ぎ山を降りて上杉軍の背後へ襲いかかりました。こうして乱戦となり、上杉側も大きな被害を出し撤退に至りました。結局、両者引き分けという結果に終わったわけです。


1867年
アメリカ、アラスカを購入
人類が最初にアメリカ大陸へ移住した際に通過したと言われるアラスカ。西洋人が来るまではエスキモーが暮らす地でした。近世に入り最初にここに到達した西洋人は、ロシア人でした。1648年、セミョン・デジニョフがベーリング海を探検したのが最初で、1728年8月16日にヴィトゥス・ベーリングが訪れてその名が残りました。ロシア帝国はアラスカに進出し、植民を行います。しかし極寒の環境で、入植したのは毛皮商人など限られていました。皇帝は露米会社の設立を認めて活動させますが、乱獲によるアザラシ等の減少と、アメリカやイギリスとの競争、クリミア戦争の戦費が不足したことから、利益の薄い割に防衛などで負担の大きなアラスカの価値が低下。売却することを決めます。地理的にも近く、クリミア戦争で中立だったアメリカが購入を決定。決めたのはアメリカ国務長官のウィリアム・H・スワードでした。金額は720万ドル。1エーカー当たり約2セントでした。アラスカはロシア帝国領アメリカからアメリカ合衆国領アラスカ県となりました。スワードは何も無い極寒の地に大金をはたいたとして轟々たる批判を浴びますが、まもなく、ここに金鉱脈が発見され、のちには石油も発見されました。スワードが知っていたかはわかりませんが、結果的にはおいしい買い物だったわけです。


1958年
フラフープブーム
いわゆるフープと呼ばれる輪っかを使った遊びは古くからありますが、フラフープというのは18世紀にハワイのフラダンスとフープ遊びを融合して作られた造語です。のち1957年に遊具の一種として売りだされ登録商標化されています。
腰を使いフープをくるくる回転させる遊びは、アメリカで大ブームを巻き起こしました。翌年10月18日、フラフープが日本で販売を開始されると、特に子供たちの間で瞬く間に大ブームとなりました。
ところが、11月18日、フラフープをやりすぎて胃に穴が開いた、なる「事件」が起こり、さらに腸捻転を起こす「事件」が連続したことから、11月22日、千葉県東金市の小学校が禁止したことを皮切りに、全国で禁止されていきました。ブームはあっという間に終ってしまったわけです。
しかしその後、フラフープで内臓に問題が起こる、というのは、医学的に否定されました(むしろ運動する意味では健康的とも言える)。その後、大ブームにはならなかったものの、一般に浸透しています。


1967年
ベネラ4号の金星調査
この日は、ソ連の金星探査機「ベネラ4号」が金星軌道に到達した日です。様々な分析機器を搭載した降下カプセルが金星の大気圏中に投下されました。カプセルは大気の状態を観測しながら降下し、着陸しました。
観測データは探査機本体が中継器となって、地球に送信しました。観測の結果、金星の大気はほとんどが二酸化炭素で高温高圧であることが判明しました。翌19日、アメリカの金星探査機マリナー5号が金星に到達。金星の周りをフライバイ飛行しました。マリナー5号はベネラ4号の観測を補い、より詳細にデータを得ることが出来ました。
ベネラ計画による金星調査は16号まで続きました。
ちなみにベネラというのは、ラテン語で金星のことです。


以上の項目は、総合年表サイトhttp://www.sogonenpyo.jpn.org/)の年表に追加していきます。
posted by あお at 00:03| Comment(0) | 10月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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