2011年10月27日

10月27日の出来事

10月27日の出来事をいくつか抜粋して紹介します。

1800年
伊藤若冲が死去(寛政12年9月10日)
彼は京の錦小路にあった青物問屋「枡屋」(枡源)の家に生まれ家督を継ぎました。数千もの商人に店や土地を貸す商売だったため、相当裕福でした。彼は商売には不熱心で、かといって博打や女にも興味を示さず、酒すら飲まなかったといいます。40歳で弟に家督を譲り、あっさり引退しています。生涯独身で、人としては面白みのない人生を送った人ですが、たった一つ、彼には趣味がありました。それは絵を描くこと。誰に学んだのかはよくわかっていません。彼の絵は、くっきりとした線で描かれた動植物を、驚くほど非常にカラフルに着色した豪華絢爛なもので、当時はもちろん、現在に至るまで類似する作風がない、全くオリジナリティの画風だからです。狩野派に学んだという説もありますが、狩野派の特徴はありません(もっとも狩野派は初期と違い作風も乏しくなっており、一族以外の門下だった絵師は多くが独立してオリジナルの画風に変わっています)。彼は商売柄、魚屋や、八百屋から、食材を手に入れると、それを詳細に観察し、描き写しました。まるで生きているかのように。他にも仏画などを描いています。そのため、当時は非常に評判で、工房を持ち、弟子たちも彩色しています。しかし彼の死後、忘れ去られてしまい、流派も残りませんでした。その後、昭和になって再発見された画家で、その衝撃的な画風に人々は驚きました。交流のあった複数の寺院が所有しているほか、美術館や、皇室にも多くが献上されたものの、プライスコレクションなど、海外にも多数流出しています。


1858年
セオドア・ルーズベルトの誕生日「テディベアズ・デー」
ぬいぐるみの世界的な代表格といえば、テディベア。歴史がある上に、様々なデザインがある、昨今の多様化するキャラクターフィギュアの元祖ともいえます。
この熊のぬいぐるみの名前の元となったのが、アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領。彼の愛称テディから来ています。なぜ、彼の名が付いたのかというと、
1902年、狩猟が趣味だったルーズベルト大統領は熊のハンティングに出かけますが、一頭もしとめられませんでした。一緒にハンティングに行っていたハンターが気を利かせて、雌熊(あるいは子熊)を撃ち、トドメを大統領に撃たせようとしました。しかしルーズベルトは「瀕死の熊を撃つのはスポーツマン精神にもとる」からと撃ちませんでした(ハンティングそのものはしてるわけですが……)。同行していた新聞記者がこのエピソードを新聞に載せたことから話題になり、翌年、バーモント州のおもちゃメーカーが熊のぬいぐるみを製作してテディと名付けて売り出しました。そこに、ドイツのマルガレーテ・シュタイフのくまのぬいぐるみが輸入されてきたため、それにもこの名前が付き、一般化していったわけです。
イギリスで、ルーズベルトの誕生日をテディ・ベアズ・デーと呼んで祝ったことから、この記念日も広まって行きました。
ちなみにセオドア・ルーズベルトは、日露戦争の講和交渉の仲介を行い、アメリカ人で初めてノーベル賞(平和賞)を受賞しています。しかし彼自身は日本脅威論者で、さらに武力を背景にした「棍棒外交」、ハワイの併合、インディアンの絶滅政策を推進するなど、かわいいぬいぐるみとは似ても似つかぬ人物でした。


1981年
ウィスキー・オン・ザ・ロック事件
といっても、お酒の話ではありません。
1981年、ソ連海軍のバルチック艦隊に所属するプロイェークト613型潜水艦S−363(U−137)が、航法士官の操作ミスなどから、予定のコースを大幅に外れて、スウェーデンの領海内に入り込んだ挙句に、岩に乗り上げ座礁するという事故を起こしました。場所はスウェーデンの軍港のすぐそば。驚いたスウェーデン海軍は、艦船を出して潜水艦を包囲。それに対し乗員は自爆覚悟で応対します(ちなみに核魚雷を搭載していたと言われています)。スウェーデンは、ソ連がスウェーデン海軍の魚雷試験を偵察するために意図的に領海侵犯をしたのだとソ連を批判しました。これは両国間の緊張を高めることになります。しかしソ連にとってなんのいいこともないこの珍事故。結局、ソ連が恥を偲んで航海日誌を提出し、お粗末な操船ミスから領海侵犯し、しかも座礁してしまったことを認めました。両国は合意に達し、11月6日、包囲は解かれて潜水艦はタグボートに引かれて離礁しました。この座礁したプロイェークト613型潜水艦、西側のコードネームでは、ウィスキー級と呼ばれていました。そのため、世界から「ウィスキー・オン・ザ・ロック」と揶揄されることになったわけです。


2002年
芝山鉄道東成田−芝山千代田間が開業
成田空港の直ぐ側に、距離が2.2kmしかない現在日本一短い鉄道路線があります。東成田−芝山千代田の2駅のみの芝山鉄道です。路線の距離が、成田空港のA滑走路より短い、たった4分という超短距離の私鉄です。この鉄道は、国が一方的に決定した成田空港建設に伴い、空港敷地によって東側の地域が孤立するのを避けるために、国が地元に建設を約束したものです。
会社は1981年5月1日に設立され、1988年6月24日、当時の京成電鉄成田空港駅(現在の東成田駅)と整備場前(仮称)間の事業免許を取得しました。当初の計画は、空港内の敷地地下を通る線内を小型車両が行き来するようなものでしたが、京成で使う大型車両の片方直通乗り入れが決まり、駅の整備工事が始まります。1991年3月19日、京成成田空港駅が新たに開業し、旧成田空港駅は東成田駅に改称しました。1993年9月20日から成田空港問題円卓会議で、国と反対派の話が進み、遅れていた建設が具体化しました(空港反対派の過激派グループは京成電鉄の車両を放火するなどのテロを繰り返していました)。
1996年12月27日には、さらに京成電鉄との相互直通運転が認可され、未買収地を迂回するルートの変更の上で、2001年4月26日に「整備場前駅」を「芝山千代田駅」とし、翌2002年10月27日に開業しました。
芝山鉄道独自の車両は京成電鉄の8両編成の車両をリースして使っていますが、日中は8両編成で運用していないため、路線内では自社の車両ではなく、京成の車両が走るという変わった運行を行なっています。


以上の項目は、総合年表サイトhttp://www.sogonenpyo.jpn.org/)の年表に追加していきます。
posted by あお at 00:48| Comment(0) | 10月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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