2011年11月01日

11月1日の出来事

11月1日の出来事をいくつか抜粋して紹介します。

1008年
古典の日(源氏物語の初出:寛弘5年11月1日・ユリウス暦12月1日)
紫式部が執筆したとして、現存する世界最古の女流文学作品である源氏物語。耽美な王朝文学の代表作品でもあります。この源氏物語が、記録上に登場した最初のものが、「紫式部日記」の寛弘5年11月1日条にある源氏物語と推測できる「物語の冊子」が作られたという記述です。
源氏物語千年紀を記念して、2008年にこの日を古典文学を顕彰する記念日として制定し、天皇・皇后両陛下御臨席のもと記念式典も行われました。
紫式部日記は、もともと紫日記などと称されており、1008年から1010年まで記されています。宮中の行事のことや、同じ女流文学者たちのことを批評しており、心情がよくわかる一級史料です。清少納言のことをボロクソに書いていることでも有名。源氏物語と思われる作品についての公家らの批評を気にしている様子もあり、異説はあるものの、この日記の記載が、紫式部が源氏物語の作者であるという証拠とされています。源氏物語とともに、早くから文学作品として知られ、絵巻にもなりましたが、なにしろ1000年も前のものであるため、原本は散逸し、複数の写本によって現在に伝わっています。


1587年
豊臣秀吉が北野大茶会を催す(天正15年10月1日)
まったくの庶民から天下人となった豊臣秀吉。彼は他の武家出身の諸大名と違い、庶民的な性格が強かった人物ですが、そのためか非常に派手好きでした。大坂城や聚楽第の豪華絢爛さ、黄金の茶室といったものでもよくわかります。さらにイベント好きな人物でした。これは主君だった織田信長の影響もあるでしょう。信長は京での土木工事で自ら音頭を取ったり、安土城の公開で多数の明かりをともしライトアップまでしたと言われています。秀吉もそれを受けて、イベント行いましたが、その中でも有名なのが、北野天満宮の森で行われた北野大茶会(きたのだいさのえ)。これが非常に面白いのは、権力者だけのイベントではなく、庶民にまで参加を求めたこと。茶道具がなくても、代わりになるものがあればよい、というもので、服装も自由、身分に関係なく、出席者には秀吉が応対するというかなり自由なもの。戦乱で身分階級が壊れていたとは言え、それでもここまでおおっぴらに行われたのは珍しいでしょう。千利休・津田宗及・今井宗久の3人が茶頭として主催し、秀吉は自慢の茶道具を見せました。1000人以上が参加する大茶会となったといいます。
この茶会は10日間の予定でしたが、結局1日で終ります。その理由は諸説あってわかっていません。しかし秀頼の時代になっても、京の人々に秀吉人気があったのは、こういうイベントを行ったのも理由の一つでしょう。


1952年
世界初の水爆実験アイビーマイク作戦実施
水素爆弾というのは、ウランやプルトニウムの重い原子核を分裂させる原子爆弾とは異なり、水素やヘリウムの軽い原子核を融合させることで生じるエネルギーを使った兵器。原爆よりはるかに大きなエネルギーを生じます。発想は原爆開発段階からありましたが、原子核の融合は非常に難しく、実用化はできませんでした(原子力発電が核分裂なのも、安定継続する核融合が困難なため)。
アメリカが開発したのは、起爆装置に原爆を使い、そのエネルギーで核融合を起こすというもの。
エニウェトク環礁のエルゲラブ島で実施されました。出力は10MT以上。キノコ雲は高さ37kmに達し、島はほぼ蒸発します。水爆とは言っても、燃料に液体重水素を使用し、そのための冷却装置が必要で、重量が73.8tもあり、爆弾としての実用性はありませんでした。液体重水素なので湿式水爆とも言います。のち水素化リチウムを燃料とし、中性子線で重水素となる乾式水爆が開発され、水爆は実用兵器となりました。
ちなみに、超ウラン元素のアインスタイニウムとフェルミウムは、この核爆発の降下物の中から発見されています。


1973年
テレビ東京とテレビ朝日の総合放送開始
東京に本局があり、全国にテレビ局のネットワークを持っている民間のテレビ放送会社のことをキー局といいます。デジタルチャンネルの順番で日本テレビ(4ch)・テレビ朝日(5ch)・TBS(6ch)・テレビ東京(7ch)・フジテレビ(8ch)があります。この中で最も小規模のネットワークが、テレビ東京。旧12チャンネル(あるいはTX)です。この放送局の前身は、財団法人日本科学技術振興財団テレビ事業本部でした。12chは、米軍の通信に使われていたチャンネルで、それを開放してもらい、主に科学技術学園工業高等学校向けに教育番組を行う民間放送局として誕生しました。しかし教育主眼ということもあってスポンサーを取らず、経営はうまくいきませんでした。このチャンネルを欲しがる放送事業者が次々と出ますが、譲渡はならず、総合放送局へ移行することになり、番組制作に当たっていた東京12チャンネルプロダクションが受け継ぎ、テレビ東京となりました。アナログVHF放送局では最後に誕生したテレビ局です。ネットワークと資本力が小さいのは、他の民放と違い、以上のような事情があったため、あらためてネットワークを作らざるを得なかったからです。
そして実は、同日に、もうひとつの民間教育テレビ局だったNETテレビ(旧日本教育テレビ)が、総合放送局免許を交付され、テレビ朝日となりました。どちらも教育テレビから生まれたテレビ局で、赤字解消のために、同日に総合放送局になったわけです。ただNETはすでに教育の定義を大幅に拡大して放送番組を作っていたため、その後の規模拡大も早く進みました。


以上の項目は、総合年表サイトの年表に追加していきます。
posted by あお at 00:29| Comment(0) | 11月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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