2012年01月04日

1月4日の出来事

1月4日の出来事をいくつか抜粋して紹介します。

1879年
梟首刑の廃止
梟首刑とは、わかりやすく言えば「さらし首」のこと。つまり、罪人を斬首にしたあと、その首を衆人に晒すことで、さらなる罰の意味を込め、抑止力の効果も図った刑です。平安時代から実施されていました。なお、ごく一部の例外を覗いて、斬首は庶民に科した刑罰です。その中でも強盗殺人、主家の殺害、升や秤などの偽造などの刑罰で行われたのが梟首で、死刑が全て梟首になったわけではありません。
首は地面から4尺(全体は6尺)の台座の上に五寸釘で打ち付け、首の周りを粘土で固めて固定したもの。罪状を記した立て札を建て、2晩3日晒され、関係者に取り戻されたり、野犬に食われたりしないよう、非人階層の見張りを置きました。
胴体の方は、江戸時代には刀の切れ味を試す試し切りに処されたり、解剖されたりしています。肝臓などを抜き取り、それを元に漢方の薬を作って販売もされていました。首を晒した後、関係者が引き取り、柄杓の柄などで胴体とつないで埋葬する場合もありました。
この首を晒す刑罰を、獄門ともいいます。これは平安時代に、市中の左右に設置されていた獄舎の門の前に晒したために、こう呼ばれるようになったものです。
明治に入っても、江藤新平が梟首刑になっています。明治12年太政官布告第1号により、1879年に廃止されていますが、それ以前に西洋人によって撮られた写真が数枚残っています。


1884年
フェビアン協会の設立
フェビアン協会は、イギリスで社会主義の実現を目指した政治組織のこと。
フェビアンとは、紀元前の共和政ローマの将軍クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ウェッルコスス・クンクタートルの名前から来ています。第二次ポエニ戦争で持久戦略を展開してハンニバルを苦しめた人物。
清潔で単純な生活を送ることによって社会を変革しようという新生活友愛会から発展した組織で、マルクス主義の急進的な革命手法ではなく、緩やかな手法によって変革を進めようというもので、作家や思想家、女性の権利向上運動家などが多数加わりました。精神主義的なものから、より政治的なものへと発展し、政治活動を行うようになりました。ボーア戦争を機に対外問題にも取り組むようになります。政治活動のための政党「労働代表委員会」を結成し、独立労働党などとともに後の労働党となりました。
労働運動から政治全般へと具体的に活動を広げたところは、多くの社会主義運動や、様々な権利獲得のための運動に影響を及ぼし、実際にフェビアン協会出身の政治家も多数存在します。一方で、メンバーの個人個人の意見の対立で党勢の盛衰が激しく、出身政治家が社会主義を理想化して現実問題を無視するなど、必ずしも結果を出すことができませんでした。
なお、マルクス主義運動に対し、暴力を抑制し、議会政治や、社会福祉政策を推進することで、漸進的に改革を行うことをフェビアニズムといいます。


2010年
世界一高い超高層ビル「ブルジュ・ハリファ」開業
アラブ首長国連邦の構成国の一つドバイにある超高層ビル。台北101(尖塔高509.2m・2004年12月31日開業)を抜いて、2012年時点では世界でダントツに高いビルです。
完成前まではブルジュ・ドバイと呼ばれていました。上に乗っている尖塔までの高さは828.0m。ビル本体の軒高は636.0mで、160階建て。
ブルジュは塔のこと。ハリファというのは、アラブ首長国連邦の大統領で、アブダビの首長ハリーファ・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーンの名前。ドバイのビルにアブダビの王様の名前が付いているのは、2009年11月のドバイ・ショックで資金難に陥った際に、アブダビからの資金援助があったからとされています。建設は韓国のサムスン、ベルギーのべシックス、アラブ首長国のアラブテックが共同で担当。
アルマーニホテル、高級マンション、オフィス層、モスク、展望台からなります。経済不振や人口規模から、さすがにマンションは空室が多いとか(住むためと言うより転売目的の要素が強い)。
建物の麓に新たに商業都市、住宅都市、娯楽センターが建設されます。超高層ビルも複数建設されますが、なにしろブルジュ・ハリファがあまりにも高いため、これが極端に飛び抜けています。
現時点では、世界一高い超高層ビルだけでなく、世界一高い自立型建造物、現存する世界一高い建造物、史上最も高い建造物、世界一高い軒高、世界一多いフロア数となっています。
現在計画が進められている1000mを超える「ハイパービルディング」には次のようなものがあります。
アルゼンチンの「ブエノスアイレス・フォーラム」(1000m)、クウェートの「ブルジュ・ムバラク・アル=カビール」(1001m)、バーレーンの首都マナーマの「ムルジャン・タワー」(1022m)、中国(上海?香港?)の「バイオニックタワー」(1228m)、ドバイの「ナキール・タワー」(1400m)、イギリス・ロンドンの「マイルハイエコタワー」(1500m)、サウジアラビア・ジッダの「キングダム・タワー」(1600m)、クウェートの「アル・ジャービル・タワー」(1852m)、ドバイの「ドバイ・シティ・タワー」(2400m)。
ブルジュ・ハリファ未満の300m以上の超高層ビル(スーパートール)の計画はさらに多数にのぼります。
ちなみに日本でもバブルの頃に高さ1000m〜1万mのハイパービルディングのアイデアが複数出されてますが、どれも具体的な計画にはなっていません。なお築地市場移転後にハイパービルディングを建設する計画があります。


2010年
山口彊が死去
この人物は、二重被爆に初認定された人です。つまり広島と長崎の両方で原爆に被爆しました。
なぜそうなったかというと、長崎三菱造船の社員で、艤装設計課で製図工として勤務していたのですが、1945年5月に、広島の造船所に出張することになり、広島で勤務中の8月6日に通勤途中に被爆しました。爆心地から3kmほどのところで、鼓膜の損傷と火傷で重症を負います。翌日、運行された臨時列車に乗り、長崎へと帰ります。
ところが帰りついた長崎で、8月9日に再度被爆。
どちらも軍事・造船都市で、空襲を免れていたため、同様の被害にあった人が他にもいる可能性はあるでしょう。
戦後は、造船所を解雇されたため、進駐軍の通訳、英語教師、造船所復帰後にタンカーの設計などを担当しました。
息子と妻が癌でなくなっているため、被爆の後遺症と考えられます。
2006年、記録映画『二重被爆』に出演したほか、原爆をテーマにした映画の構想を立てていたジェームズ・キャメロンとも面会しています。
彼の存在が注目されたのは、死後、イギリスのBBCのクイズ番組で取り上げられたこと。
2010年12月17日に放映された番組では、二重被爆ということで、「世界一運が悪い男」と紹介されました。ここでは、原爆投下直後にも列車が運行されていたことを驚きを持って紹介されますが(英国の鉄道へのあてつけでもある)、彼のことを揶揄したり論評したりしたことから、通報を受けた在英日本大使館が1月7日に抗議。BBCと制作会社は正式に謝罪しました。


以上の項目は、総合年表サイトhttp://www.sogonenpyo.jpn.org/)の年表に追加していきます。
posted by あお at 00:13| Comment(0) | 1月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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