2012年02月15日

2月15日の出来事

2月15日の出来事をいくつか抜粋して紹介します。

1877年
西郷軍が鹿児島を出発。西南戦争が始まる
現時点で、日本で最後の大規模な反乱が西南戦争。
西郷隆盛を中心に、旧薩摩藩士が蜂起し、肥後の熊本藩や人吉藩、日向の延岡藩、高鍋藩、佐土原藩、飫肥藩、豊後の中津藩などからも多くの士族が参加しました。薩摩藩とは関係のよくなかった飫肥藩などからも参加しているのは、士族の立場を擁護する西郷隆盛の魅力だったということでしょう。
征韓論で表舞台から降りた西郷は、ともに下野して帰国した桐野利秋らを刺激しないようにするためか、大隅半島など各地を転々としながら狩猟に明け暮れていました。一方、県下の士族は西郷や大久保利通も出資して設立された私学校で学びますが、政府に残った大警視川路利良が視察のために帰郷させた中原尚雄ら警察官24名が、西郷を殺害しに来たと反発。さらに政府が鹿児島にあった陸軍省砲兵属廠から武器弾薬を持ちだしたことを受けて、私学校徒は弾薬庫を襲ってこれを奪います。西郷はこれを聞いて「しもた!」とつぶやいたとか。西郷は西南戦争を起こすつもりはなかったのかもしれません。政策で対立したとはいえ、もともと盟友だった大久保に政治を任せて、その状況を見守るつもりだったとも考えられます。しかし自分に従ってきた者たちを無視も出来なかったでしょう。以後、西郷は作戦にはほとんど口出しせず、西郷軍は熊本城に固執してこれを落とせないまま、南下してきた政府軍に熊本北部で敗北。政府軍は鹿児島や八代日奈久にも上陸し、西郷軍は人吉、都城、宮崎、延岡と転戦。ついに延岡の可愛岳で西郷は初めて積極的に動き、軍を解散しました。ここで死ぬつもりだったのか。しかし西郷と側近らは今の宮崎県境に沿うように山間部を走破し、鹿児島に入り、政府軍の隙を突いて城山を占拠、ここで最後を迎えました。
その後も、鹿児島を始め、各地では政府に不満を持つ旧士族らの間で、西郷人気は高まり、政府要人にも西郷に恩を受けたものが多いため、今でも英雄として扱われています。一方で、この戦争で直接戦火を受けた熊本(※)や、西郷軍が強制的に使用した不換の軍票(軍事紙幣)「西郷札」で甚大な経済被害を受けた宮崎では、批判的な見方をする人もいます。
※九州新幹線全通のPRキャラだった「西郷どーん」が熊本では反発を買ったという話もあります。一方、熊本で独自にPRキャラとして登場した「くまモン」はゆるキャラの王者となりました。


1898年
メイン号事件
米西戦争の発端となったのが、キューバ島のハバナでアメリカの戦艦「メイン号」が爆沈した事件。
米西戦争は、当時スペインの数少ない植民地だったキューバとカリブ海の権益をめぐって、アメリカとの戦争。
キューバでは独立を目指すマクシモ・ゴメスが勢力を広げ、スペインは植民地維持のため、強権的な支配を行なっていましたが、アメリカではスペインを批判する世論が盛り上がり、キューバへの介入の動きが強まります。キューバの商業的な魅力や、インディアンへの虐殺が一段落して、兵を動員する目標が必要でした。
そんな中、ハバナで起きた暴動に対して、アメリカは権益を守るためにカリブ海などで活動していた戦艦メイン号を派遣。ハバナへ向かいました。2月15日夜、ハバナ湾内でメイン号は爆発。弾薬庫の爆発で艦の前方が吹き飛び沈没しました。
乗員266名が死亡。コックなどで働いていた日本人8名のうち6名も死亡しました。
爆発の原因は不明ですが、燃料の石炭が自然に発火したという説が最も有力。しかし、機雷に接触して爆発したもの、アメリカによる自作自演というもの、キューバ人がアメリカを巻き込むために仕組んだ、という説などがあります。
アメリカ国内では、スペインの機雷に接触したといった情報が広がり、マスコミが煽ったこともあり、世論はスペインとの戦争へ沸騰します。マッキンリー大統領は戦争に否定的で、スペインもキューバの自治を認める方向へ動きますが、4月19日、ついに米議会はキューバの独立と派兵を承認。スペインもアメリカとの関係を断絶。米西戦争は開戦しました。


1977年
スペースシャトルの実験機「エンタープライズ」の滑空飛行に成功。
スペースシャトルといえば、引退を迎えましたが、一般的に有名な最初の機体はコロンビア号といいます。
しかし、その前にエンタープライズという実験機が存在しました。滑空を試験するためのオービターのみの機体なので、厳密には宇宙船ではありませんが、スペースシャトルの初代です。改造されたシャトル輸送用747ジャンボに乗せられて空中へ上がり、切り離して滑空試験を行いました。
宇宙へは2番機のコロンビア号が担いましたが、チャレンジャー号事故のあとなどに本機も宇宙船用に改造が検討されたこともあります。
名称は本来、コンスティテューションとなるはずでした。憲法という意味で、建国記念などに軍艦に付けられる名称です。
ところが、スター・トレックのファンが、同作品の宇宙艦エンタープライズの名前を付けて欲しいと運動し、それを受けてフォード大統領が命名しました。いかにもアメリカらしい話です。ちなみにスター・トレックのエンタープライズ号は、「コンスティテューション級」の宇宙船という設定。
国立航空宇宙博物館に展示されていますが、マンハッタンにある空母を改造したイントレピッド海上航空宇宙博物館に移される予定です。


2005年
YouTube設立
動画サイトで最も著名で、最も巨大なサイトがYouTube。2005年2月15日で、カリフォルニア州のサンマテオで設立されました。PayPalの従業員であったチャド・ハーリー、スティーブ・チェン、ジョード・カリムらによって設立されました。初めて動画が投稿されたのは同年4月23日で、若者がサンディエゴ動物園でしゃべっている短い動画とされています(今も見ることができる)。設立のきっかけはハーリーらが友人にパーティーのビデオを見せる方法として、メールで送るのは大変なことから、ネット上でビデオ映像を共有できる方法として技術を開発したものです。
YouTubeは、誰もが映像制作者であり、発表者になれる、という場を提供したことになり、ビデオカメラが普及してきたことも相まって、珍しい偶然や、面白い出来事、大事件、大事故、創作作品にまで、あらゆる動画が登場しました。ネット環境があれば、より様々な情報を得られるようになったわけで、民主化運動にも大きな影響を与えています。
一方で、今までになく、「映画の著作権」、すなわち、商業映画、OVA作品、テレビ番組、個人の撮ったビデオ影像まで、その著作権保護の問題が高まりました。訴訟が相次ぎ、大規模な削除要求が行われるようになりました。その多くは、テレビ番組の無許諾アップデートでした。
一方で、あえて番組や映画、アニメの一部を無料でアップし、それを宣伝に使う動きも出てきています。そしてYouTubeを始めとする動画サイトにアップされた動画を逆にテレビ番組でも紹介するようになりました。
動画サイトの拡大で、従来のテレビ番組の視聴率は大きく影響を受けており、また、これほど面白い動画を手に入れやすい媒体もないわけですから。


以上の項目は、総合年表サイトhttp://www.sogonenpyo.jpn.org/)の年表に追加していきます。
posted by あお at 00:07| Comment(0) | 2月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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