2012年11月13日

カシミール問題―インドとパキスタン、そして中国

隣国問題の一つとして、現在でも激しい対立が続いている地域の一つが、カシミール地方。
ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈の間にあり、インドの北、パキスタンの北東、中国の西に位置して、インドとパキスタンと中国によって三分割されており、カシミールの中央から北西にあたるギルギット・バルチスタン方面とアザドをパキスタンが、中央から南東側のジャンムー・カシミールとラダック地方をインドが、北部から東部にかけてのシャクスガンとアクサイチン(ラダック東部)を中国が実効支配しています。
インドとパキスタンは、この地をめぐって対立し、お互いを敵視し、過去には三度の戦争と、多数の紛争を起こしています。またインドと中国もアクサイチンと北部のシャクスガン地域の領有権で対立しています。シャクスガンは中国とパキスタンが領有権で争った場所ですが、パキスタンが中国に「割譲」することで決着したところです。

このカシミール問題の直接のきっかけは、イギリス領インド帝国の解体でした。
第二次世界大戦が終わり、軍事遠征と損失、戦災、経済圏の変化によって国力が大きく後退したイギリスは、それ以前からすでに英連邦への移行もあり、かつての植民地が自治独立し始めていました。大戦中、国民会議急進派(※1)が日本と手を組んで独立を画策するなどしたインドでも、独立の機運が高まります。イギリスはもはや、それを抑えることはできなくなっていました。
このとき、全宗教・宗派の上に世俗的統一政府が樹立することを訴えたヒンドゥー教徒のマハトマ・ガンディーの案と、イスラム教徒のための自治政府もしくは独立国家「パキスタン」(※2)の分離を訴えたムハンマド・アリー・ジンナーの案が対立します。世俗統一国家を望むネルーもガンディーの案に近いものでした。
イギリスは、独立において、ヒンドゥースタン、パキスタン、そして内政自治国である多数の藩王国からなる連邦制とするインド連邦案を示しました。自治権を大幅に強化した修正案は、ジンナーの了承を得ますが、中央集権と統一インドの大国化を望むネルーは反対。
総選挙は、ジンナーらのムスリム連盟とネルーらのインド国民会議派で二分されました。

1946年8月16日、ジンナーらの運動が暴動に発展し、イスラム、ヒンドゥーの住民同士が衝突。多数の犠牲者を出します。
イギリス仲介の元、中間政府が起こされ、連盟と国民会議はインド独立の方策を検討しますが、イスラム教徒の多い北西諸州およびベンガルの分離が検討されるにいたり、両者は決裂。ジンナーはムスリム6州の分離独立を、インド総督ルイス・マウントバッテン卿に訴え、ついに同卿は1947年6月4日、イギリス領インド帝国を「インド」と「パキスタン」に分割することによる独立を、同年8月15日をもって行うと声明を出します。このため、各地のヒンドゥー教徒、イスラム教徒、そしてシク教徒や仏教徒まで巻き込んで大混乱が起こり、多くの市民が犠牲になり、難民が発生しました。
1947年8月15日、ネルーはデリーでヒンドゥー教徒多数派地域の英連邦ドミニオン(※3)として独立を宣言。イスラム教徒多数派地域も英連邦ドミニオンとして独立しジンナーが総督に就任。両国は分離独立して成立しました。
統一国家を主張したガンディーは、皮肉にもイスラム教徒に妥協したということで、1948年1月30日、ヒンドゥー教徒の民族義勇団メンバーに暗殺されてしまいます(※4)。

独立はしたものの、問題が残っていました。
イギリス領インド帝国には、ムガール帝国時代からの、内政自治国である多数の「藩王国」が存在していました。
そのほとんどが、分離独立の際に、インド側に帰属しますが、中南部のハイデラバード一帯を領土とする最大の藩王国ニザーム王国と、北方山岳地帯のカシミール王国は、帰属が決まりません。というのも、ヒンドゥー教徒地帯にあるニザームは藩王がイスラム教徒で国民はヒンドゥー教徒が多数派。イスラム教徒地帯にあるカシミールは藩王がヒンドゥー教徒で国民はイスラム教徒が多数派だったわけです。ニザーム藩王ミール・オスマーン・アリー・ハーンはパキスタン側につこうとし、カシミール藩王ハリ・シンは独立を望みます。
結局、ニザームは1948年9月13日に、インド側に軍事力で併合されますが、一方のカシミールはパキスタン側の民兵が出て併合に動いたために、カシミール藩王の要請でインド軍が出動。1947年10月21日、第一次印パ戦争が勃発しました。1948年12月31日に両国は停戦。カシミール藩王国は分割。さらに、同地域の北東地方は、チベット仏教徒の暮らす地域で(※5)、中共政府が進出。インド、パキスタン両国と対立します。中共政府は、1962年10月20日からおよそひと月にわたってアクサイチン一帯に軍事侵攻して、インドと国境紛争に突入します。が、これは実際には、中国がインドの油断に漬け込んでに攻め込んだ侵略に近いもの。チベットやシッキム、ブータン、そしてアクサイチンを含めた南アジア、南西アジア方面での「国境拡大した上での国境線確定」が目的だったようです。
パキスタンはこれを機に民兵を動員して実効支配地域を広げようとしましたが、1965年8月、インドは反撃に出て、パンジャブ方面を攻撃。第二次印パ戦争が勃発しました。国連の仲介などで9月23日に停戦。国連が軍事監視団を起きます。翌年2月25日に撤退は完了しました。中国とパキスタンの対立は、パキスタンの譲歩で和睦し、現在は対インドで事実上の同盟関係にあります。これは、インドを支援したソビエトが中共と対立したという背景もありました。

イスラム教徒の住む地域が独立したパキスタンですが、当初の領土は、旧インド帝国北西地方だけでなく、全く反対側のベンガル地方(東パキスタン)も持っていました。ところが、パキスタン政府は、同じイスラム教ながら、言語も文化も環境も大きく異るこの地域を冷遇したため、分離独立運動が起きます。独立志向の強いアワミ連盟が選挙で勝利すると、パキスタン政府は軍事介入を見せたため、1971年3月26日、東パキスタンの独立戦争が勃発しました。インドはこれを支持。第三次印パ戦争に発展します。インドの軍事力により、パキスタンは敗北。12月16日、東パキスタンは、バングラデシュとして独立を果たしました。

インドと、パキスタン・中国は、領土をめぐって現在も対立関係にあり、そのため、先に核保有国となった中国に続き、インドが核開発。パキスタンも核開発を推進し、現在はいずれも核保有国となっています。中国は核弾頭搭載可能な長距離弾道ミサイルを、インドとパキスタンは核弾頭搭載可能な中距離弾道ミサイルを保有し、お互いに照準を定めているとされ、一歩間違えれば、国境紛争が地域核戦争に発展し、甚大な被害と、深刻な汚染を引き起こす地域戦争が起こることもありえます。インドは中国との兼ね合いから、日本やオーストラリアに接近しており、パキスタンもイスラム原理主義勢力の影響が強く、他のイスラム教国と影響しあう状態。これにアメリカやロシアも巻きんで、アジア・太平洋・インド洋地域全体の問題に波及する可能性は十分にあります。
一方で、国境というのは貿易経済の拠点ともなるわけで、対立しつつも、直接の紛争地域を外れると、相互に人や物の行き来が存在します。

西洋列強による植民地の結果が招いた紛争ですが、一方では宗教対立や、君主制、指導者らの考えの違いがもたらした結果とも言えるでしょう。

※1:ラース・ビハーリー・ボース、A.M.ナイル、スバス・チャンドラ・ボースらによる自由インド仮政府。ビハーリー・ボースは大戦末期に日本で病死し、チャンドラ・ボースは終戦時に台北から日本本土に向かおうとして搭乗した爆撃機の事故で死亡したとされる。ボース姓はコルカタなどベンガル地方に多い姓で、この二人の血縁関係はない。ナイルは戦後も日印親善に尽くした。チャンドラ・ボースはインドでも人気が高い。
※2:パキスタンは、ジンナーの同志であり、詩人でもあった政治家ムハンマド・イクバールが、ムスリムのための北西インド州分離独立を構想し、チョウドリー・ラフマト・アリーが主張した国家。一方のジンナーはもともとは独立までは望んでいなかったが、支持を得られず、方針を替えたと言われる。名前はペルシャ語で「清浄な国(パーキスターン)」から来ている(パンジャブ、アフガン、カシミール、シンド、バルチスタンの地名の合成語とも)。
※3:英連邦ドミニオンは、英国王を元首に戴く英連邦に属する国家のこと。ドミニオン(自治領)と称しているものの、事実上の独立国家で、カナダやオーストラリア、ニュージーランドなど英連邦成立時の6カ国がこう呼ばれた。
※4:ガーンディーは寛容で非暴力を実践した人物だったが、カースト制度(特にヴァルナ)を容認しており、その思想や非暴力、宗教融和で、多くの独立運動家やヒンドゥー教徒と対立した。ちなみに初代首相ジャワハルラール・ネルーの子孫はガーンディー姓を名乗っているが、ネルーの娘であるインディラ首相の夫が、フィローズ・ガーンディーだったためで、マハトマ・ガーンディーとは無関係。
※5:カシミールには、古くはチベットの吐蕃王国の影響で、チベット仏教が広まり、ラダック王国やザンスカール諸侯などの国が存在した。これらの国がカシミール諸侯と争うようになり、イギリスの仲介でジャンムー・カシミール藩王国が出来たのは1846年。


☆この内容は総合年表HP(http://www.sogonenpyo.jpn.org/)に追加されます。
ラベル:世界史 年表
posted by あお at 11:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 隣国関係の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。