2014年01月13日

桜島の歴史

今年は桜島の大正大噴火から100年になります。
100年前の噴火の体験を語る人ももういないでしょうが、ここ数年、桜島は再び活動が活発になってきていることもあり、火山噴火への備えとして、地域ぐるみの取り組みも行われるようになっています。

大正大噴火は、1914年に起こっていますが、突然大爆発したわけではありませんでした。人々が観測した前兆現象は1913年6月29日の地震から始まりました。以後、弱い地震が頻発し、火山ガスの発生、海水温や地熱の上昇などの現象が続き、島民も当然その異常に気づいて、当時の鹿児島測候所に問い合わせています。
しかし測候所の返事は、噴火はない、というもの。
現代の予知技術でも、噴火の正確な予知は難しいので、当時はなおさらでしょうが、島民の多くは信用せず、独自に島を離れて避難するようになります。
1914年1月に入ると、地震や地鳴り、白煙が上がるようになり、1月12日午前10時過ぎに大きな噴火が2箇所から始まりました。
同日午後6時28分には桜島沖合の鹿児島湾海底地下を震源とするマグニチュード7の大きな地震も発生。鹿児島市周辺は震度6に達し、各地で土砂崩れが起きて29人が死亡しています。このため鹿児島側でも流言が飛び交いパニック状態となって、避難する市民が相次ぎました。この地震では津波も発生しています。噴火に伴う地中の圧力低下が、それまで溜まっていた歪を一気に解放して起こしたものと考えられています。
13日には噴火はさらに強まり、火砕流が麓の小池、赤生原、武の集落を襲い焼失。大量の噴出物は島内と大隅半島にも降り注ぎ、特に量の多かった黒神集落には、今でも半分埋まった黒神神社の鳥居が残されています。同日溶岩の流出もはじまり、西側と南東側へと移動。
15日には溶岩は海岸に到達。大隅半島との間の瀬戸海峡を埋め始め、29日にはついにこれを埋め尽くし、桜島は地続きとなりました。溶岩の移動は翌年まで小規模に継続したと言われています。
死者は58人で、火山ガスや海へ避難して溺死した者などもいます。当時の島内人口2万1368人と家屋の被害に比べれば人的被害は少ないですが、これは測候所の発表を鵜呑みにしなかった住民の自主避難の結果でもあり、災害時の対応の教訓とも言えます。
大量の火山礫(※1)と火山灰は南九州の広範囲の農地を覆い、甚大な被害をもたらしました。また溶岩と噴出物に覆われた結果、桜島の住民の半数が島外へ移住していきました。防災などの意味も含めた交通の便のため、1934年(昭和9年)11月19日から村営定期船が運行され、今の桜島フェリーになっています。

桜島は姶良カルデラの一角にあります。火山島としてもかなり大きな島ですが、歴史は比較的浅い火山です。
姶良カルデラ(鹿児島湾北部の直径20kmほどのクレーター)は複数のカルデラからなり、2万9千年前頃に大爆発を起こしました。特に妻屋火砕流・入戸火砕流を発生させた二度の爆発は規模が大きく、薩摩大隅両半島の半分と宮崎県・熊本県の南部は、シラス台地と呼ばれる厚さ最大150mに達する噴出物の層が広がっています(※2)。姶良Tn火山灰(※3)と呼ばれる降灰は東北にまで達しました。この層を境に植生が変化するほどの規模で、特に桜島や大隅半島などでは植物の遷移の参考にもなっています。このあと2万2千年前ころに桜島が海上に姿を少しずつ現し始め、大きくなっていきました。
現代で姶良大噴火規模の噴火が起きた場合、国家級の大災害になるのは言うまでもありません。といってここまで来ると事前の準備で出来る事には限界があるでしょう。予知の正確さを進め、多数の市民を影響外へと避難させる人命保護優先の対策を考えるしか無いのが現状です。

大正噴火以外の桜島の有史以降の噴火は主に以下のものがあります。
1471年10月25日(文明3年9月12日)に大噴火。死者多数。
1475年9月15日(文明7年8月15日)には桜島南西部で噴火(文明溶岩が流出)。
1476年9月29日(文明8年9月12日)に大噴火、死者多数を出し、沖小島と烏島が形成。
1779年11月8日(安永8年10月1日)桜島各所で噴火。火砕流と降灰を伴い、翌9日には溶岩の流出が始まり、翌10日(10月3日)には海岸に到達(安永溶岩)。
1780年8月6日(安永9年7月6日)桜島北東海上で海底噴火。
1781年4月11日(安永10年3月18日)に同じ場所で海底噴火と津波が発生。
一連の噴火の死者153人。
1946年(昭和21年)1月に噴火が始まり、3月9日に火口から溶岩が流出し、4月5日に黒神集落を埋め海岸に到達。5月21日には別の溶岩流が有村集落に達し、海岸に至る。死者1名、噴出物総量は約1億立方m。
1955年(昭和30年)10月に南岳山頂火口で爆発噴火。死者1名、負傷者11名を出した。南岳山頂付近は立ち入り禁止となる。
1972年(昭和47年)10月2日午後10時19分に南岳山頂で爆発噴火。翌1973年7月24日に活動火山対策特別措置法が制定される。
1974年(昭和49年)6月17日、第1古里川の砂防工事現場で土石流が発生し作業員2名が死亡し1名が行方不明。同年8月9日、野尻川の砂防工事現場において土石流が発生し作業員ら5名が死亡。
1986年(昭和61年)11月23日、桜島古里地区のホテルに直径約2m、重量約5トンの噴石が直撃、宿泊客と従業員の合わせて6名が負傷。
1987年から2005年ころまでは収まっていましたが、2006年ころから再び活発化。現在は大正大噴火時に匹敵するマグマがたまっていると考えられています。

※1:火山礫はボラと呼ばれる。有史以降の桜島、霧島、御池の噴火で噴出したもので、宮崎・鹿児島両県に広がり、農作業の邪魔者扱いされているが、園芸では日向軽石、日向土とも呼ばれて蘭などの栽培で重用されている。
※2:他に33万年前の加久藤カルデラ噴火、11万年前の阿多カルデラ、5500年前の池田カルデラの噴出物も含まれている。
※3:Tnは丹沢のこと。丹沢で見つかったため、当初はその付近の火山の噴火だと思われて、後に姶良カルデラのものと判明しこの名前になった。関東地方でも10cmもの厚さに灰が積もった。

☆この内容、および、より詳細なデータは総合年表HP(http://www.sogonenpyo.jpn.org/)に追加されます。
posted by あお at 13:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 火山の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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